
上海の美食は「葱油拌麺」にあり— 旅する料理人とおいしい話 vol.4
Style
09 JAN 2019
「ごはんと旅は人をつなぐ」をテーマに、世界中を旅しながら美食を追い求める料理家・山田英季さん。世界各国を渡り歩いてきた山田さんが旅先で出会った、おいしくて美しい食べ物にまつわるストーリーと再現レシピをお届け。第4回は中国・上海で見つけた、「葱油拌麺(ツォンヨウバンミェン)」に舌鼓を打ったお話。

肌で感じる中国経済の勢い
上海を訪れるまで、中国に対する思いはさほど強いものではなかった。中華料理は大好きだし、三国志も一通りは読んだことがある。中国大陸から朝鮮半島を抜けて日本に伝わったとされる醤油や味噌の原型や農業技術など教えは多く、その恩恵を日々受けていることを知ってはいたが目の前にある文化として、特段に意識することなく中国という国と触れ合ってきた。
上海を訪れることになったのは、現地の出版社との仕事が舞い込んだからだ。しかし前述の通り、僕にとってはあまり関心の高い国ではない。中国に行ったという友人たちからもまた訪れたいという声はあまり聞かないが、経験してみたいことが2つあった。
その1、イケイケだという中国経済の盛り上がりを肌で感じる
その2、まだ僕の知らないおいしい中華料理を探し当てる
このミッションを胸に刻み込み、日本からほど近い上海へと向かった。早朝の便で訪れた上海の空は曇っているように思えた。さすが経済が急激に成熟しつつある場所。空気が少し淀んでいる。日本も昔はこんな感じだったのだろう。

人も車もバイクも電車も、すべてがせわしなく動いている。それはまるで上海という中国の心臓から血管を通じて隅々まで栄養を運ぶために、ドクドクと早い鼓動を打ちながらひたすらに血液を送り出しているように見えた。

現地の中国人編集者と落ち合い、出版社への訪問や会食をすませたあとの自由時間は、上海を観光することに。休日の上海を行き来する人々に目をやると、その数の多さに圧倒される。みんな表情は明るく、楽しそうに買い物や食事をしているようだった。
新宿の大通りに集まる人々の数倍はある人の波を抜けデパートに入ると、そこもまた大盛況。決して安くはない金華ハムの並ぶ売り場に行列ができ、ひっきりなしに売れていく。金華ハムは日本でいうかつお節や昆布のように、具材や出汁として使われる縁の下の力持ちだ。日本人はかつお節や昆布にこんなにもお金と時間をかけるだろうか?
そしてこの人混みは日本では体験できないだろうと、中国という国の分母の大きさに圧倒された。街を歩くだけで僕には十分すぎるほど、ミッションその1「イケイケだという中国経済の盛り上がりを肌で感じる」ことができた。

高級店で出会った「白い炒飯」
ミッションその2「まだ僕の知らないおいしい中華料理を探し当てる」。このミッションは、さらに2つに分かれる。
・レストラン的なところで、洗練された中華料理を食べる
・地元民に愛される美食を探す
である。
日中に歩き回ったせいか少し疲れていたので、ホテルのなかにあるいわゆる高級中華で晩ごはんを食べることにした。お店に入ると、街なかにはいないような綺麗な制服を着た女性が席へと案内してくれた。テーブルには白地に光沢のある糸で刺繍が施された、シンプルだけど品のあるクロスが1つのシワもなくかけられている。
女性にイスを引いてもらい席に座ると、僕は無意識に普段と異なる紳士の顔を繕っていた。メニューに目をやって、少し安心する。日本語で麻婆豆腐、ホタテの炒飯、空芯菜の炒めもの、杏仁豆腐など馴染みの言葉が連なっていた。冒険はせず本場の味を確かめたかったのでそのまま注文した。と言いたいところだが、内心は、他のメニューの高級感に少しビビっていたのだと思う。
まず運ばれてきた麻婆豆腐と空芯菜の炒めものは、油っぽさを感じないスッキリとした味で、とても好印象。続いてホタテの炒飯が運ばれてきた時には目を丸くした。ツヤツヤに輝くごはん粒にあるはずの、彩りよい差し色の黄色い卵がなく、白いのだ。目をこらすと、卵の白身が油の光沢をまとってそこにいた。
そうだ。これは席に着くなり僕がビビった、高級感のある白い刺繍のクロスそのものだ。味もまたシンプルだけど、ホタテの旨味とパセリの清涼感がたまらない美味。ここで「レストラン的なところで、洗練された中華料理を食べる」ミッションをクリア。食べ終えてそのまま部屋に戻り、大きなお風呂と大きなベッドに癒されてすっかり疲れも取れた。大満足である。

お目当ての一品を求めて続く食の道
翌日はラーメンの原型になったとされる「蘇州麺」という麺料理を求めて、目星をつけていた上海にある庶民の生活エリアへと足を伸ばした。歩いているだけでおいしい香りに、まぁよく出くわす。これから蘇州麺を食べるというのに、肉まんや月餅など、買い食いの嵐である。どれも日本のものよりも肉汁が多く、一口噛むと熱々のスープが口のなかに流れ込んでくる。エネルギッシュなその味は、4000年続く中国の歴史を支えてきたことは間違いないと思わせるほどおいしかった。


朝から寄り道をし過ぎて、目当てのお店に着いたのはちょうどお昼時だった。お店の前には店内に入れないお客さんが列をなしている。この時点で、まだ一度も食べたこともないのに蘇州麺は絶対においしいと確信した。店に入ると、小さい店内にこれでもかとお客さんが入っている。
注文用紙にチェックを入れて、お店のおばちゃんに手渡す。料理が出てくるまで他のお客さんが食べている麺に目をやると、真っ黒なタレで和えてあるだけとしか思えない汁なし麺を、大半の人がすすっているではないか。失敗した……。地元民が愛する美食は汁なしのアレだったと。時すでに遅しで、注文した汁ありの麺が運ばれてきてしまった。悔しさが残るなかレンゲでスープを口に運ぶと、これはこれでおいしい。ただ、汁なし麺が気になりすぎて味わう気持ちが半減している僕は、早々にたいらげ店を後にした。

その後も市場や焼き小籠包のお店、景徳鎮市から来た若い作家さんが展示をしているギャラリー、本屋さん、イギリスのアフタヌーンティーのように中国茶を提供するお店などの観光は続いた。再訪したいほどの素敵な場所を回ったのだが、僕の心はどこかで汁なし麺に向かっていた。




旅の最後に出会った至福の一杯
そして、突然それは僕の前に現れた。通りかかった店先で湯気を上げているせいろの先に見えた「葱油拌麺」という文字。ずっと汁なし麺が気になっていた僕は観光中に隙を見て料理名を調べ、その名が「葱油拌麺」だと知っていた。お腹はいっぱいだが、同僚を巻き込んで店内に入る。席に着くなり、町中華の雰囲気が漂う。隣のテーブルではピークタイムを終えた働くお母さんたちがごはんを食べている。しかもお目当ての汁なし葱油拌麺ではないか。「ありがとう上海。ありがとうお母さん」と、よく分からないことを口走りながら興奮はマックス。
僕はもちろん汁なしの葱油拌麺を注文し、同僚はスープの葱油拌麺を注文した。最初に運ばれてきたのはスープの葱油拌麺。スープを一口もらうとおいしさが染み渡り、これの汁なしかと期待に胸を膨らませる。
ついに運ばれてきた、汁なし葱油拌麺。感動の対面もままならぬうちに、すすりあげる。醤油と砂糖の馴染みのある味の奥から、葱油の甘い香りが鼻から抜けていく。懐かしいようで食べたことのないおいしさ。僕のなかでハードルが上がりきっていたのに、この感動はなんだ。そして、あまりにもおいしすぎて、僕は写真を撮るのをすっかり忘れるのである。

お腹いっぱいで食べても、こんなにおいしい「葱油拌麺」。最後のミッション「地元民に愛される美食を探す」ことに成功し、オールクリア。訪れてみれば、上海はとてもおいしい良いところだった。

【葱油拌麺の作り方】
材料:2人分 調理時間:30分
中華麺(乾麺) 2束
青ねぎ 4本
サラダ油 大さじ5
桜えび 適量
A
醤油 大さじ3
砂糖 大さじ2
オイスターソース 大さじ1
<作り方>
①青ねぎを5cm幅に切る。
②フライパンにサラダ油と青ねぎを入れて、弱火で青ねぎが焦げ始めるまで炒める。
③②にAを加えて、よく混ぜる。
④中華麺を茹でて、湯を切って器に盛り付ける。
⑤④に③をお好みの量かけ、桜えびをのせて出来上がり。






山田英季(やまだ・ひですえ)
Profile/料理家。フレンチ、イタリアン、和食などのレストランでシェフを歴任後2015年に〈and recipe〉を立ち上げ、「ごはんと旅は人をつなぐ」をテーマに活動中。著書に『にんじん、たまねぎ、じゃがいもレシピ』(光文社)、『かけ焼きおかず かけて焼くだけ!至極カンタン!アツアツ「オーブン旨レシピ」』(グラフィック社)など。
http://andrecipe.tokyo/
https://www.instagram.com/andrecipe/
Photographs by IZAKI Ryutaro
Text & Travel Photography by YAMADA Hidesue
Edit by KAN Mine