〈美しさの秘密〉第3回 アーティスト・諏訪綾子「美しさは自分の中にある」

Beauty
10 OCT 2019

伝統や風習に縛られず、様々な分野で活躍する人々にフォーカスし、彼らの「美しさ」の秘密を掘り下げる本企画。第3回目は、“食”における多彩なアート表現で新しい価値を与え続けているアーティストの諏訪綾子さんが登場。原体験や自然への好奇心、本質的な美しさへの考えから、諏訪さん独自の美的感覚を紐解きます。

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自然の生命力に感じる美しさ

ー諏訪さんにとって「美しい」とはどういうものでしょうか。

私の感じる「美しい」は多分、人よりも感覚的なものかもしれません。最近そう感じたのは、ある雑草の生命力です。都内にある私のスタジオの目の前に大きな観葉植物の鉢が放置されていて、気をつけて見ないと見落としてしまうくらい、街の風景に馴染んでいたんですが、夏のある時、突然何も生えていなかったところから青々とした蔦が生えてきて電柱に巻き付き始めたんです。普段からコンクリートを打ち破って出てくる雑草にときめいたりしているせいか、その姿に感動してしまって。

その蔦をハサミで数本切り取って、東京近郊の森にある私のアトリエに持ち込みました。野生の生命力の強さを試そうと思いそのまま土に挿したら、なんと根付いたんです。その野生に美しさを感じました。

ー「切って植えた」というのは単純な興味だけでなく、作品作りのヒントを探す意味もありますか。

そうですね。そのアトリエも自然の中でインスピレーションを得ようと思い作りました。自分の中にある“野性”を試したいと思っていたタイミングであの雑草に出会ったので、まずは都会の雑草が自然の山の中で生きられるのか試そうと思ったんです。

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ー「美しい」という言葉から連想すると、例えば造形美だとか色合いだとか、誰もが共通して持てるイメージのようなものがあると思います。ですが、諏訪さんの作品には美しさの裏にグロテスクともとれるものを感じます。

人間がもっと動物的だった太古の昔に持っていた、本能的に感じる直感や生きる力を“野性”と私は呼んでいて、ずっとそういうものに惹かれています。小さい頃はいろんな生き物の死骸や植物の破片を集めていました。子どもってオタマジャクシの卵とか、グロテスクで気持ち悪いものでも存在そのものに魅力を感じて、興味を持ちますよね。それがどういったものなのか知らなくても、理性ではなく本能的な部分で好奇心を感じている。そういった感覚が作品に反映されているのだと思います。

ー大人になると昆虫などの生き物に気持ち悪さを感じる人も多いですが、諏訪さんはずっと美しいと思い続けていると。

大人は情報を理解して、納得して、判断の引き出しにしまってしまうのでカエルの卵を見ても、ただ分類してそれ以上追求しなくなる。子どもはわからないから「これは何だろう」という驚きや恐怖、不思議といった感情さえも楽しめるんだと思います。それは私たちが持って生まれた本能的な美しさへの感性なんでしょうね。

“視覚の時代”に挑戦する

ー作品を表現する時に大切にしていることはありますか?

食で表現するうえで面白いのは「食べるかどうかはあなた次第、あじわえるかどうかもあなた次第」ということです。ですから、作品を目の前にして「食べるか/食べないか」、「あじわうか/あじわわないか」を選ぶ感情の動きや、記憶への残り方を大切にしています。

ー「あじわうという行為を記憶に残す」ことは捉えどころのない表現方法に思えますが、どういった発想からきているのでしょうか?

レストランのシェフはお客さんに「美味しかった」と感じてほしくて作っていると思いますが、私はそうではなくて。体験した人がその「食」に対してどう向き合うのか、その人の中にどんな問いかけが生まれるのか、どう視点が変わるかを追求したいんです。

おいしさでもない、空腹を満たすでもない、あらたな食の価値をもたらす感情のテイストをフルコースであじわえるゲリラレストラン 好奇心の祝宴(金沢21世紀美術館 展覧会『好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム』)。 (3133)
via おいしさでもない、空腹を満たすでもない、あらたな食の価値をもたらす感情のテイストをフルコースであじわえるゲリラレストラン 好奇心の祝宴(金沢21世紀美術館 展覧会『好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム』)。
食材に埋もれる眼、鼻、口、耳の写真が、実際に食材が盛り付けられたフードインスタレーションの中に紛れ込み、虚構と現実が入り混じる、食べてあじわえる写真作品『Taste of Photography 写真をあじわう』。 (3134)
via 食材に埋もれる眼、鼻、口、耳の写真が、実際に食材が盛り付けられたフードインスタレーションの中に紛れ込み、虚構と現実が入り混じる、食べてあじわえる写真作品『Taste of Photography 写真をあじわう』。

ーこれまで15年近く表現を追求してきたなかで、作品に変化はありますか。

常に変わっているとは思っているのですが、今年発表した『Journey on the Tongue』は大きく変化した作品かもしれません。「舌の上で旅をする」というコンセプトで、体験者は目を閉じて耳栓をして、椅子にリラックスした状態で座り、身体の外側の感覚をシャットダウンして、舌の上、口の中、身体の内側の感覚だけを使って、旅をする、というものです。舌の上では、あじわうほどに、味や匂いはもちろん、音やテクスチャー、温度、振動などが変化していく食べものをあじわえます。その次々と変化してゆく感覚の刺激が、そのひとの記憶と連鎖して、時空を超える旅の体験となる、という作品です。

—あじわいだけで旅をすると。体験していない人にはなかなか想像しづらい作品ですね(笑)

そうなんです。というのも、あえて"目に見えないあじわい"というものを作りたかったんです。食べ物というのは視覚的な要素であじわう部分も大きく、これまでの作品もビジュアルとしての強さもあったのですが、『Journey on the Tongue』は写真に撮っても一体それが何なのかわからない(笑)。そして説明しても未知の感覚なので想像することが難しく、体験した人にしかわからないんです。

『Journey on the Tongue』@INTERSECT BY LEXUS - TOKYO (3139)
via 『Journey on the Tongue』@INTERSECT BY LEXUS - TOKYO
『Journey on the Tongue』@アルスエレクトロニカ フェスティバル 2019 (3140)
via 『Journey on the Tongue』@アルスエレクトロニカ フェスティバル 2019

ー“目に見えないあじわい”という表現に至ったのはどういったきっかけがあったのでしょうか。

今の時代はSNSをはじめとして、視覚に比重が偏りすぎていると思うんです。いかにビジュアルとしてインパクトがあるのか、みんなの目を奪うことができるかといった表現があまりにも過剰だなと感じて。視覚重視になればなるほど、他の感覚は使われなくなっていく。だから、この作品は「“目に見えるものばかりに気をとられてしまう大人”になってしまった私たちのための、本当の進化をとりもどす体験」を目指しました。

ヘルシーな思考が感覚に与えるもの

ー食べ物をモチーフにされていますが、“表現としての食”と“生きるための食”と諏訪さんの中で違いはあるのでしょうか。

普段の食事では美味しいか美味しくないかは二の次で、食べたことのないものを試してみたいと思っています。まず「どんな食感でどんな味なんだろう」という好奇心から始まって、それを口に入れる時のスリリングな初体験に対する自分の感情の動き、感覚的な思考の揺れがどう変わるのかを堪能したいんです。自分を俯瞰で見るというか、私自身を試したいんです。

ーそこに対する興味は“美味しさ”ではなく、食べることで何かを得ようとしているのですね。そういった食の体験が作品に活かされることはありますか?

食に限らず、記憶に残る体験というのは楽しくて幸せなものばかりではなく、不快なものも多いと思うんです。さらに、当時は嫌な出来事だったとしても後で美しい記憶になることもある。食にはその感覚があるかもしれません。美味しくてバランスがいい食べ物は、物足りないというか記憶に残らないんです。

ー確かに「美味しい」は頭一つ飛び抜けたあじわいがないと埋もれてしまうかもしれません。食以外で、美しくあるために普段心がけていることは?

毎日眠る前に、その日会っただれかのなにげない言葉やあじわったテイストを、記憶の赴くままに、珍味的に思い出して噛み締めることですね(笑)。特選の珍味は数年経っても記憶の中にあって、思い出してあじわうと心が満たされます。

それから、最近は1日1回空腹状態を作るようにしています。“空腹状態”はすごく自由なんです。お腹が満たされるといろいろな思考が自分の中に詰まっているような気がして身動きがとりづらい。空腹状態になると頭が冴えて、身体も心も自由になれるんです。

そうすると、自分の欲するもの、やりたいことの本質が浮かび上がりますよね。食べることは私にとって情報を取り入れることに近いから、一度リセットすることで、他に惑わされない自分を保ちます。

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ー“自由”であることはなかなか日常のなかで意図的に作りにくいですが、“空腹状態”であればコントロールできそうですね。これまで作品や内面の美しさについてお伺いしましたが、諏訪さん自身の外見的な美しさについて心がけていることはあるのでしょうか?

これまでの経験から、私にはいらないものがある程度分かってきたので無駄なものは削ぎ落とそうと思うようになりました。化粧品もファッションも本当に自分がいいと思えるものだけがあれば充分なんです。

それは情報を集めて色々比較するより、私は偶然の出会いに任せています。その時目の前にあるものがベストと思えるようにしたい。そんな気持ちでいたら目の前に本当に欲しているものが現れるような気がしていて。感覚が冴えていれば偶然が必然になると思うので、自分の直感を洗練させたいですね。

ー情報の比較ではなく、セレンディピティ(予想外のことを見つけること)を大切にしていると。これまでお話しいただいた空腹や自由な環境、記憶の珍味といったトピックは「直感を洗練」させるためのものなのですね。

そうですね。日常の中で、自分の内面と向き合う、私なりの方法です。今の時代って油断していると外からたくさんの情報が入ってきますよね。そうすると意識や心が乱されていってしまうので、「自分が本当に求めるものは何か、私が美しいと感じるものはなにか」という思いと向き合うことで、自分らしさが見つかるのだと思います。

諏訪綾子(すわ・あやこ)

Plofile/アーティスト・food creation 主宰。石川県生まれ。金沢美術工芸大学卒業後、2006年よりfood creation の活動を開始、主宰を務める。2008年に金沢21 世紀美術館で初の個展「食欲のデザイン展 感覚であじわう感情のテイスト」を開催。現在までに東京・福岡・シンガポール・パリ・香港・台北・ベルリン・バルセロナなど国内外で、パフォーマンス「ゲリラレストラン」やディナーエクスペリエンス「Journey on the table」、フードインスタレーションなどを発表している。2014-15年には金沢21世紀美術館 開館10周年記念展覧会「好奇心のあじわい 好奇心のミュージアム」を、東京大学総合研究博物館とともに開催。人間の本能的な欲望、好奇心、進化をテーマにした食の表現を行い、美食でもグルメでもない、栄養源でもエネルギー源でもない、新たな食の価値を提案している。

Photographs by ITOH Isamu
Portrait photo: Rowland kirishima
Text by KAN Mine
Edit by TAJIRI Keisuke

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