新しい世界への「好奇心」が、「恐怖心」を超えていくとき | 伊藤亜紗 #4

ポーラ『WE/Meet Up』が主催する、たったひとりのための特別な場。その記念すべき第1回のホストは、視覚障害者や吃音の研究で注目を集める美学者・伊藤亜紗さん。今回は、伊藤さんと友人の全盲者・難波創太さんとともに、少し遅めの朝ごはんを作ります。メニューは、麺から手作りする冷やし中華です。見えない世界で料理をするというのは、どんな気持ちがするものなのでしょうか。伊藤さんと難波さん、そしてたったひとり招待されたゲストの間に今、新しい対話が生まれます。
(上記写真の左から、伊藤亜紗さん、難波創太さん、読者ゲストの村岡詩織さん)

島根からやってきた、たったひとりのお客様

今回、伊藤亜紗さんは「全盲の方と、料理をしてみませんか?」という意外な提案をくださいました。その全盲者とは伊藤さんの著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』にも登場する、難波創太さんです。
難波さんは、10年前に交通事故によって視力を失いました。事故以前はデザイナーとして活動していましたが、事故後は鍼灸マッサージや薬膳を学び、仕事としています。この難波さんが開発する薬膳レシピを一緒に作ろう、という企画です。

開催されたのは、よく晴れた暑い日。場所は、難波さんが薬膳ワークショップなどを開催している、三軒茶屋のボディケアキッチン「るくぜん」です。
伊藤さんと難波さんが待っていると、ゲストの村岡詩織さんがスーツケースを引っ張りながら現れました。そう、村岡さんはこの日、島根県からはるばる今回のために東京にやってきたのです。村岡さんは2児の母であり、普段は行政と住民の間に立ちながらまちづくりを進めるコミュニティデザインを仕事にしています。

自分を導いてくれるような出会いだった

この企画への応募の際、伊藤さんの記事の感想として、「『今出会えて良かった』と感じ入ったインタビュー」と書いていた村岡さん。そのことについて伊藤さんが尋ねてみると、「自分自身の仕事であるまちづくりと重ね合わせて読んでいた」という答えが。

「まちとの関わりの少ない人にどう伝えていけば、それが楽しいと感じてもらえるのか。いつも抱えているもやもやが亜紗さんの言葉で晴れていくような気がしました」(村岡さん)

伊藤さんの記事をプリントし、赤線を引いたり、自分の感想を書き込んだりしながら読んでいたという村岡さん。それを聞いた伊藤さんは「そんなふうに読んでもらっていたなんて」と顔をほころばせました。「まちづくりという、私が想定もしていなかった文脈で読んでもらえていたのがすごくうれしい。しかもそこから生まれた村岡さんの疑問や感想が、またこちらに返ってきて、1対1で向き合えている感じがすごくします」

好奇心と恐怖心のせめぎあい、どう乗り越える?

村岡さんが、伊藤さんと難波さんに聞いてみたかったこと。それは、「好奇心」と「恐怖心」についてです。好奇心が強いけれど、同じくらい恐怖心があるという村岡さん。その恐怖心は、新しい世界に踏み出すと、自分の理解力や表現力のなさを痛感させられるという不安から生まれるのでは、と考えています。

村岡さんは伊藤さんに、「記事を読んで亜紗さんは好奇心がすごく強い人だと感じました。恐怖心はないんですか?」と質問しました。すると、伊藤さんは「私が新しい世界に踏み込むときは、研究という枠組みで守られているから、怖さが軽減されるのだと思います」と自分の立場を分析して答えました。
難波さんは「好奇心と恐怖心、誰もがどっちも持っていますよね」と村岡さんに共感します。「全盲者はやっぱり、家にいたほうが安心なんですよ。恐怖を感じずに済む。でも好奇心で外に出ると、自分の生活や感じ方に変化が起こる。それがおもしろいから、僕はまちに出ていくんですよね」。

その話を聞いていた伊藤さんが急に、「実は……私フリースタイルのラップをやりたいんですよね」と告白しました。難波さんは、「え、ラップ!? そんなこと、初めて聞いたよ(笑)」とびっくり。「なぜ始めてないんですか?」と村岡さんが聞くと、ここにも好奇心と恐怖心のせめぎあいがあったのです。
「やっぱり、恐怖心があるからです。文章だと何回かチェックしてから表に出せるけど、フリースタイルのラップはそれができない。その場で出てくる言葉をそのままさらすのをこわがっているうちに10年経っちゃいました」(伊藤さん)

飛び込んだ世界でさらされる素の自分。それを守ってくれるのは、初めに芽生えた純粋な好奇心なのかもしれません。

視覚に頼らない作業を入れることの意味

今回、難波さんが用意してくれたレシピは、「土用の丑の日」に関連した一風変わったうなぎの冷やし中華、名付けて「空飛ぶ冷やし中華」です。薬膳の考えに則り、体を冷やす食材と温める食材でバランスをとっています。そして、麺はなんと手作りです。普段は「見えること」に頼りがちな料理も、手で生地をこねる作業を取り入れることで、新しい世界が開けてきます。

言葉によって、雰囲気が変化する

さあ、調理開始です。秤の上のボウルに、袋から直接どさどさと強力粉を入れていく村岡さんに、「スプーンを使わないところ、私と似たものを感じます」と笑いかける伊藤さん。作業を通して少しずつお互いに打ち解けていきます。

次は、ふるった粉や卵を一緒に練る作業に入ります。
このときの質感がすごく大事だと難波さんは言います。「湿っているか、乾いているか、人間の手はすごく敏感に感じ取るんですよね」。

すると、「湿り気感って不思議ですよね」と伊藤さん。「例えば、液体にも湿った感じと乾いた感じがありません? 温泉でサラサラのお湯もあれば、粘度が高くてベタッとした感じのお湯もある」。
それに対し難波さんは「ありますね。乾いてる感じにも種類があって、サラサラはいいけど、カサカサは嫌な感じ。湿り気感も、しっとりはいいけど、べっちょりは嫌とか」と返すと、村岡さんが「わあ、言われてみると言葉によって、全然雰囲気が違いますね」と答えました。

五感のうち、どれを使って料理をしている?

難波さんは時折、こねている生地の状態を聞きます。二人は「ダマっぽい感じはまだありますよね。粉が残ってるというか」(村岡さん)、「お年寄りっぽい。髪の毛の生えていないお年寄りの頭みたい」(伊藤さん)、と的確な表現を探して答えます。こうして、見えない難波さんと共同で料理を進めるため、食材や調理の様子を言葉にしていくうちに、感覚が研ぎ澄まされていきます。

10分こねたら、しばらく生地を休ませます。その間に、タレと具材づくりです。

タレを作っている村岡さんは、なぜか味見に抵抗を示します。「普段、ほとんど味見ってしないんですよね。今回、料理をすると聞いて考えたんですけど、私は普段、匂いだけで判断してることが多いんですよ。子ども達の様子を見つつなので、焼き加減すら鼻で感じ取っています」。それに対し、「おもしろい」と難波さんは言います。「鼻が一番なんですね。たしかに、焦げの匂いである程度わかりますもんね」。

伊藤さんはそれに関連し、自身の体験について話しました。「こないだ料理をしながらヘッドホンでラジオを聞いていたら、料理がすごくまずくなっちゃって。味見しても味があんまりしなかったんですよね。感覚が競合しちゃうのかな」。
普段、自分がどの感覚を頼りに料理をしているか。そんなことを改めて考えながら、作業を進める二人。ここから錦糸卵と焼きなすを作り、ニラを茹で、うなぎ、きゅうり、トマト、大葉を切ります。

手塩にかけた、我が子のようにかわいい麺

具材の用意ができたら、いよいよパスタマシーンを使った製麺作業に入ります。まず難波さんが1玉分を見本として作ります。何回か生地を延ばした後、専用カッターで切るときれいな麺が現れます。

難波さんが鮮やかな手付きで麺を作り終えて、いよいよ村岡さん。「人生初の麺作りです」と言いながら作業を進めるものの、生地を延ばす途中で「真ん中がボコボコしていて破れそう……」と、若干不穏な空気が漂います。難波さんがさわって確かめ、塊から延ばすところからやり直したほうがいいという判断に。

もう一度ひとかたまりにまとめてやり直してみると、今度はうまくいきました。
ハンドルをくるくる回して生地をカットすると、きれいな麺が台の上にふわりと着地。村岡さんが思わず「我が子……!」とつぶやき、難波さんが笑います。

次に伊藤さんが挑戦です。「なんでしょうね、この高揚感。麺が出てくるときの楽しさと言ったら!」と興奮する伊藤さん。出来上がった麺を「モンブランのクリームみたい」と表現します。

出来上がった麺は多めの湯で茹でます。それを冷水でしめたら、具材の盛り付けです。色とりどりの具材に、思わず「きれい!」という声が。すべて並べたら、完成です。合計3時間ほどの調理が、やっと終わりました。

境界線のことなんか、忘れていた

テーブルに付いたら、皆で「いただきます」と声をかけ、食べ始めます。
「おいしい! 麺に甘みがあってもっちりしてる」、と伊藤さん。村岡さんは「やっぱり麺が固まってるところがある……私が最初に作ったやつかな。白玉団子みたい」と笑います。そんな手作り感がありつつ、全体としては大成功のようです。

食べながら伊藤さんが「今日の内容って、イメージされていました?」と聞くと、「カフェでサンドイッチを作るくらいかと思っていました」と答える村岡さん。それを聞いた難波さんは「いきなり、麺をこねさせられたりしてね(笑)。けっこうな重労働だったでしょう」と、怒っていないか心配だったという正直な気持ちを伝えました。
村岡さんの答えは「それがむしろよかった」という意外なものでした。
「普段私はワークショップなどをするときに、いろいろな“境界線”を見つけるようにしているんです。今回だったら例えば、東京と私が住んでいる地方、とか。見えない難波さんの世界と見えている私の世界とかの境界線があるんじゃないかって。でも、いきなり麺を作ることになって(笑)、夢中になって作業していたら、そんなことすっかり忘れていたんです。ああ、私はまちづくりでもこういう場が作りたいんだ、と気づかされました」(村岡さん)

人生がクロスし、互いの世界を覗き合える機会

村岡さんは、伊藤さんの印象を「再定義してくれる気持ちよさを与えてくれる人」と語りました。「亜紗さんは、言葉にならないようなことをわかりやすい表現に換えて、すっと置いてくれるんです。文章でもそうだけど、今日お会いして話していたら、話し言葉でもそうなんだなって」。

また、伊藤さんのことをすべての興味が“地続き”な人だとも感じたそうです。
「見えない人の世界を知りたいという社会的な関心が、今日のご飯何にしよう? という日常的な関心の延長にある。そんな、自分とは異なる世界を特別視しない感じが気持ち良かったです」(村岡さん)

楽しいおしゃべりも、いつかは終わりの時間が来るもの。村岡さんは今日、島根に帰らなければいけないのです。最後は盲導犬のモナミちゃんも一緒に記念写真を撮り、村岡さんは「今度は難波さんの鍼やマッサージも体験してみたいです。東京に出た時に、立ち寄るところが増えました」と笑顔でるくぜんを去っていきました。

後日、村岡さんからは「あの冷やし中華を作った時間のように、いろんな人の人生がクロスし、お互いの世界を覗き合えるような機会を、まちの中にもっと仕掛けていこうと、心新たに決意しました」という素敵なメールが届きました。
インタビュー記事をきっかけに、新しい世界と出会い、前進する力をもらった村岡さん。次回はどんな出会い、そして対話の化学変化が起こるのでしょうか。

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